森悠の人と本、そして愛…"LOVE⌒▽⌒PEACE"

日常の生活そのものが好きで、そこに愛を見つけられたらとても嬉しいです。「そこに愛はありますか?」

「食事をつくる」について。

 

こんにちは。森悠@moriyukun)です。

 

最近、「外食」に対する感覚が変わっています。なんというか、その、「外食しているだけ贅沢で素晴らしいな!」って感じているんです。

 

どういうことかを書きますと、これまでの食事はコンビニやオリジン弁当で買ったり外食することが多かったのですが、今月から「自炊(じすい)」に集中して取り組みました。

自分たちで食事をつくることで何が変わったかというと、「提供されるだけ食べる」から「必要な分だけつくって食べる」に変わったことが、大きいのではないかと考えています。

外での食事は、味付けも、量も固定されています。何を使って作られているのか詳しくは分かりません。飲食店で出されるものの多くは、「濃くて、量が多いもの」と思います。刺激的な食事はよく売れるからで、あくまで商品なんですよね。

 

何を食べるか?自分の身体に何を入れるかを、ちゃんと考えたほうがいいなぁと思いつつ、それがずっとできませんでした。会社員だった自分は忙しさを理由に、自炊を続けられませんでした。(私は今有給休暇中で、来月からまた会社員です)

 

自由な時間を得られて、自炊をするようになってからは、是非これからも続けたいと思っています。

最初の話に戻ると、平日自炊をして週末に外食をすると、格別に贅沢な気分になれます。食事が美味しいのもそうですが、ご飯を店の人がつくってくれて、ビールも出してくれる!そして何より、洗い物をしなくていい!なんて贅沢なんだぁ!!という感じです。

 

会社員戻ってから食事とどう向き合うかが、私の課題です。「ストレスを感じたらとにかくとんこつラーメン」とやけ食いで解決を図る行為は、抑えていきたいなと思っています。

 

***

 

自炊の大切さを教えてくれたのはパートナーです。私が自炊に目覚める前に既に、キッチン用具は全て彼女が揃えていてくれました。だから私は【DELISH KITCHEN】等の料理動画を見てつくるだけでOKでした。(彼女のすごい所は環境を整えることが迅速な所なんです)

 

色々ありがたいです。美味しくて身体によい料理がつくれるように、これからも続けたいと思います。

我が家の「神棚」について

 

こんにちは。森悠@moriyukun)です。

 

私は東京都の要町に住んでいます。もうすぐ3年ほど経ちます。とても住みやすく、好きな街になりました。

現在の住まいも、もう最高です。住まいを一生懸命探してくれた(というか私の重い腰を必死にあげてくれた)パートナーに感謝、感謝です。

 

私たちの住まいにはこのようなスペースがあります。

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これは・・・

 

「神棚(かみだな)」です。玄関にあります。

 

この神棚、もはや私たちには欠かせないものになりました。今では【出かける時と帰ってきた時】に拝むことが当たり前になっています。1年前の私には、「拝む」「祈る」といったものには全く興味がありませんでした。『なんで皆さん神社に行って拝むの?』という感じで、でも深く考えず無関心でした。

 

その無関心を関心へ変化させたのが、パートナーです。「神社が好き」と彼女は以前から言っていました。あと彼女はよく「祈っててくださいね~!」と私に言うのが印象的でした。少しずつ、彼女がなぜ神社が好きなのか知りたくなっていったのです。

 

するとたまたま本屋でこの本を見つけ、買うことになります。

■成功している人は、なぜ神社に行くのか? (八木龍平 著)

 

神社の正しい定義は分かりませんが、この方が書いている神社の見方はとても面白く、その世界観に引き込まれました。

この本を読み、印象的だったキーワードは、「循環(じゅんかん)」と「隙間(すきま)」です。我が家の神棚に毎日拝むようになってからは、特に「隙間(すきま)」の効用をとても感じています。

 

朝の出勤時は忙しいものです。ギリギリまで寝て、起きて、最短距離で身支度を整え、すぐに出発しないといけないことがほとんどではないでしょうか。

 

でも我が家に神棚ができたお陰で、どんなに急いでいるとしても、必ず立ち止まり、拝むようになりました。

たった30秒かもしれませんが、拝むことで、心の中に隙間ができます。どんなに忙しくとも、例えば、「○○さんが今日も元気でいますように」と心の中でつぶやくと、心に余裕ができて、なんだか爽やかな気持ちになれるのです。

 

最近の私は、毎朝車を運転しているので、神棚の前でこう拝んでいます。

「昨日も無事故で、みんな無事で、ありがとうございました。今日も安全運転で、ゆっくり行ってきます」

そして帰ってきたら、

「無事に帰ってこれました。良かったです。ありがとうございました」

と拝んでいます。

 

***

 

「拝む」「祈る」という行為が理解できなかった私が、今では毎日拝まないと何だか変な気持ちになってしまう身体になりました。

意味を少し理解した後に祈る彼女の姿を見ると、とても可愛くて、なんだか愛おしい気持ちになります。

 

人が本当に求めているもの・ことをはっきりとさせるのがいいかもしれない。

 

私は以前、よくこんな事を考えていました。

 

「最近お金ないなぁ」

 

月に3万円ずつ貯める事を目標にして頑張っていましたが、いまいちお金が貯まらず、頭の中で常に考えていました。

「なんかお金がないように感じる」と、漠然とした不安を持っていました。

 

このままでは幸せになれそうもなく、愛も生まれそうにないので、なんとかしようと思いました。

やってみたことは、「なぜ私はお金がないように感じるのか?」と原因分析することでした。

 

問い、考えてみました。するとまず、「お金がある安心感を得たい」という気持ちがあることが分かりました。

うん、たしかにそうだよねと思いました。でも何か腑に落ちません。じゃあお金を貯めればいいのですが、私、結構お金を使っていました。だから家計簿をつけて無駄な出費を抑えようとしたことがあるのですが、結局続けていません。(たしか2日も続きませんでした…)

 

「安心感を得たい」という欲求以外に、私にはもうひとつ欲求があることを発見しました。

「お金を使いたい」という欲求です。

 

これがわかったのは、私と一緒に住んでいるパートナーがきっかけです。私は「暑いけど、エアコンはなるべく使わず扇風機で!」という節約思考がまず動きますが、彼女は「暑いからエアコンをつけて快適に過ごす」という動きをしています。よって自然的に、付き合った当初から「ケチ彼氏」と呼ばれるようになりました。私たちは正反対の思考と行動で、面白いなぁと思っています。

そんなパートナーと生活してみて、以前よりもうずうずするようになりました。買い物のときや、家で「エアコンをつけるか否か?」で迷う時も、うずうずするようになりました。私自身の「これ欲しい!」「こうしたい!」という感情に目を向け始めたから、かもしれません。

 

いつからか、「欲しい!」「したい!」の気持ちを見ないようにして、その気持ちを消そうとしていたかもしれません。「だって生活が苦しいから。余裕がないから。貯金したほうがいいから」と漠然と考えていました。

しかし本心というものは消せないようです。そのときには消せても、時間が経ち、場所が変わり、自分のコンディションが変わると、別のところでお金を使っているものです。私の場合はラーメンを食べすぎたり、ポテチを食べ過ぎたり、と暴食に向かっていました。こう書いてみて分かったのですが、こうやって自分の本心を自分が無視しちゃうと、本当に欲しいものが手に入らなくなる循環に陥っていくのですね・・・。あぁ怖い。最初が肝心で、最初に自分の本心を確かめることが大事な気がします。

 

***

 

ということで、私は「お金があるという安心感」と「欲しいものを手に入れたいという入手欲(?)」を求めていることが分かりました。

「自分が本当に欲しいものは何か?」を考えて、はっきりと自覚することが大切かもしれませんね。

 

最後に彼女の言葉を紹介して今日はまとめたいと思います。

 

「幸せになるために生きているのに、なんでエアコンをつけずに汗ダラダラ流して我慢するの?(“意味わからない。バカじゃないの?”という表情をしながら…笑)」

歩いて帰ろう

先日ブックオフで楽しく立ち読みをしていたら、以下の歌詞が耳に入ってきました。

 

嘘でごまかして 過ごしてしまえば
たのみもしないのに 同じ様な風が吹く 

 

斉藤和義さんの「歩いて帰ろう」という歌です。

その時の私は仕事モードではなかったためか、「すっ」と歌詞が入ってきました。

 

「同じ問題に直面する」ということってないでしょうか?

転職して会社を変えたのに、また以前と同じような人と仕事をして、以前と同じようなことになったり。

 

自分というのは壁を乗り越えたがっているようです。だからまた目の前に壁があらわれるようで。

壁が現れその時に、自分の本心によるアクションをしないと、またいつの日か壁が現れますね。うん、確実にそう。私は3回ほど経験し、やっと分かりました。

 

急ぐ人にあやつられ 言いたいことは胸の中

寄り道なんかしてたら 置いてかれるよ いつも

 

 

会社に入るとつい急いでしまいます。人に合わせていきます。

「あれ、自分は何がほしいんだっけ?」と立ち止まることは・・・しなくなります。いつも。

 

寄り道をせず最短距離で頑張っていたつもりが、ふと振り返ると、「何だったんだ?」と思うこともしばしば・・・

ですが体験は自分の糧になるから、学んで活かせばいい。自分の目的に立ち返ればいい。

 

そんなことをブックオフで「歩いて帰ろう」を聞いたあとの帰り道で、考えていたようです。

『マインドセット「やればできる! 」の研究』を読んで-1

日々過ごして、いつしか「結局自分って変化・成長できないのでは?」という想いに囚われ、心の根っこが硬直していたと気づかせてくれた本です。

 

マインドセット「やればできる! 」の研究から思い出した。

 

「起業家になりたい」「経営者ってかっこいい」と憧れ、2名の会社に飛び込んでから2年が経っていますが、いつしか「経営者って大変」「こんな弱い自分には到底むりじゃないか?」と思うようになり、最初に抱いていた夢を手放していました。

 

「オレって、ここで何がしたかったんだっけ?」と迷い、モチベーションが低下することがあり、そんな時は「とにかく業務を終わらすしかない」と考えていました。それがだんだん、「早く終わらて自宅に帰る」事が会社にいく動機となっていました。

 

毎日、疑問に思っていました。「これでいいのかな?」と。「でも、僕には到底・・・厳しいよね」と思っていました。

 

この本の「第7章教育」に書いてある内容が印象に残っています。

 

到着基準を下げれば、生徒に成功体験をさせて、自尊心を高め、学力を伸ばすことができると考えている教育者が少なくない。…(中略)…。そんなことをしても効果はない。お座なりにやってもほめてもらえると高をくくっている学力の低い生徒を増やすだけだ。(P.282)

 

 
優れた教師は、できる生徒に対してだけではなく、全ての生徒に対して高い基準を設ける。(P.289)

 
僕は、自分自身の基準を下げてきた。何か壁が出てくるたびに、どんどん下げてきた。すると文句や、不満が溜まっていった。「なぜかわからないけど、モヤモヤする。あれ、オレ何がやりたいんだっけ・・・」と。
 
この本を読み、思い出したことがある。今一度自分に問いかけて、考えてみようと思う。
 
「2年前の想い、今どう思う?」